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  • 執筆者の写真Daisuke Shirakawa

リアリスト化が止まらない

今年もあっという間に年末ですねー。


11月からグリグリやった水路掃除とかもひと段落して。


(こうなる前にどうにかしてよと、去年までの人に言いたい…)



農繁期に会えなかった人と会う時間も作りながらも。


年末、安定の簡易水道掃除





今年は色々この水道がトラブってたみたいで。

集落のおじいさまたちが(←全員おじいさま)今年はセメントが要ると。


セメント持って急斜面を(笑)



(この高さまで…)


ただ上がるだけでも疲れる斜面を、25kgのセメント持って上がるのは、

当然おじいさまには無理なので、僕の役割。。


すんごい修行感でした。


そして上についたら、今度はなんと、

作業小屋のドアが開かないハプニング(笑)


カギがさび付いていました。

このドアと30分くらい格闘した気がします。

ここでも無駄に握力を消耗(笑)



序盤からぐちゃぐちゃでテンション下がりそうでしたが、

おじいさま達は全然手を抜かず、今年もきっちり、いや例年以上にしっかりと

整備していました。


(そこまでやる?ってくらいやるんですよねー)



しかし、今年を振り返るとやっぱり

夏のものすごい暑さとか。

直撃された台風7号とか。

物価上昇に。

そしていつものことながら人口減少・高齢化。


とまぁまぁ五感というかカラダ全体で課題をビシビシ感じる年ではありました。


結果として、僕はどんどんリアリストになっていると思います。


最近思うのは、

画面の向こう側を想像するだけでは、想像しきれないギャップというのが、

どんどん大きくなっているなと。


ニュース見てると、現場を知ってたら「は??」って絶句するような意味不明発言が多くて。


結局のところ、現場に来たことなかったり、

現場の声を直接聞いたことがない人の多くは、

壮大な勘違いを抱えたままなんですよね。


僕自身、東京に住んでいた時の鳥取の農業とか農村のイメージって、

恥ずかしながら!!恥ずかしい!!ほんと。申し訳ねぇっす!!!

って思うくらい、他人事だったし、分かってなかったです。


もしかしたら未だに分かってないのかもしれません。


地区の会合とか出てても、移住者の僕には関係の無い話がちょいちょい出てきます。

「財産区がぁ~」とかね。

もうほんと意味が分かんないので黙ってますが(笑)。



とは言えかなりリアルが分かってきている中、新聞とかネットとかで偉い人がアレコレ言ってることの的外れな感じを見てて「あぁ。僕は完全なリアリストになったな」と良く感じます。


イメージはもう良いからさ。

「実質」どうなの?

どこまでが理屈で証明出来て、どこからが現場感覚での判断領域なの?


って。


賞味期限を延長しましょう。フードロスを減らすために。


というニュースがありましたが。

ちょうど最近「基準値のからくり」という本を読んでいて。





勉強になるなぁなんて思っていたところにこのニュースで、タイムリーでした。


雑に言うと、僕らはもうちょっと基準値を疑った方が良いなと。


基準値って要するに机上のナントカだったりして、

実質どうなの?ってのとは別なんだと。


農業で言うと、農薬の基準とかもね。


ちなみに食品で言うと僕は賞味期限めっちゃ切れてても、

匂い嗅いで、行けそうなら食べます(笑)


本の話に戻ると、「リスクコミュニケーション」ってのを何度も強調されていて。


基準値がどのように決められたのか。

その基準値や決め方は妥当なのか。

これを問うコミュニケーションが、日本では特に少ないと。


めっちゃ厳しい規制をすれば、「より安全」かもしれないけど。

厳しすぎて流通し無くなればそもそも安価で消費者に届かなくなる。

(ジビエ肉とかね)


逆に根拠が分からない=予測しにくい自然現象に関わることであれば、

安全なんて約束できなくなる。


ということで、要は「どのくらいだったらリスクとして受け入れられるか?」という部分が基準値に反映されるべき。という話。


基準値以内だから納得してください。

でも、安全とは約束しませんけどね。


というお役所的な態度は、まぁ仕方ないとして。

では、その基準値を受け入れられない、という場合は、当然納得できません。


車に乗れば事故が起こる。

お餅を食べれば死ぬかもしれない。


そこまでして車、要る?

そこまでしてお餅、食べる?


という「ソレはそんなリスクを取ってまで必要なのか」を考えることが重要です。ということですね。


なかなか興味深いテーマです。


鳥取県では「田んぼダム」という治水のやり方に力を入れているのですが。

まぁ農業者に色々ニンジンぶら下げてどうにかしようとしていますが、

今のところ進んでいるとは言い難いです。


なぜか。


田んぼダムで頑張る人と、

受益者 が違うから。


田んぼダムとは、

大雨が降った時に田んぼを敢えてダムのように水を蓄えて、

川に排水するペースをゆっくりにして、

下流域の増水ペースを遅くし、堤防の決壊を防ぐor遅らせる という試みのことです。


農家が何をするかというと、

まず、田んぼの周りの「あぜ」をしっかり作っておく。

排水板を工夫し、大雨の時になるべく水を溜められるようにする。

です。


これ、農家にとっては、大雨のタイミングによっては

作物が水没するリスク

溜まり過ぎた水圧に負けて田んぼ自体が崩壊するリスク

があります。


米農家は、できれば大雨の時は排水板を外して、むしろ高速で排水したいくらいです。


このリスクを取って、誰が得をするかというと、農業者ではなくて、

下流域住民です。

田んぼダムを実施して、田んぼで被害が発生した時に補償してくれる制度もありません。


下流域にとって有意義なことはわかりますが、無理があります。


現場のことを知らない人が考えたのかな?と思わざるを得ません。



というのは一例ですが、どんどんリアリストになっている僕は、

地域の会合とかも、ふんわりした夢物語みたいなやつには関わらないようになっています(笑)


とは言え、現場とそれ以外のギャップを放置するつもりもなく。


「これが現場だ!」みたいな情報発信をたまに見て、

「え?それ現場?(笑)」って現場の僕が思うのもあるのが現実。



ややこしい世の中になったものです。




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