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  • 執筆者の写真Daisuke Shirakawa

6年目へ。


(写真はイメージです)

1日1日を大切に過ごしているつもりでも、

大変だったところからちょっと慣れが出てくると、月日が経つのが早く感じたりして。

最初の年は、3ケ月目くらいで、もう1年分くらい!の濃度だったのを

よく覚えていますが、

なんだかんだで、丸5年経ち、6年目に入ります。

4月11日は、鹿野に着いた日。

5年間、色々ありましたが、全てはこの日から始まったということで、

初心に戻ると言うか、この日はなんだか気持ちが引き締まる思いです。

本当に色々なことがありすぎてとてもじゃないですが、全ては書けません。

出会いもたくさんありましたが、それは新参者の僕にとって、いわば当然。

意外にと言って良いのか、別れも多く。

東京を出るときの寂しさというのは(自分で決めたくせに)物凄くて、

その別れの衝撃からしたら鳥取ではさほど別れはないような気がしていた、というか、

そんなこと考えもしなかったのですが。

5年間居ると、移住者(←という括り方もなんだか…という感じがしますが便宜上 笑)でも

去っていく人が居たりして。農業者しかり。

また、地元の人も亡くなられる方も少なからず。

だから、まだ5年なのに、なんとなく5年「も」居るという見方もできなくもないのだ

ということが、ちょっと驚きだったりします。

本当に笑えるくらい大変な日々です(←現在進行形)が、

いったい、何が大変だったんだろう??

体力。

もちろんこれは物凄いきついスタートでした。

が、ある程度気持ちの準備ができていたかな。

お金。

これもある程度覚悟はできていたのですが、

お金に関連して、農業というものの「安定感の無さ」の方への戸惑いが

大きかった。

安定感なんて捨ててきた「つもり」だった僕ですが、

いやはや、個人事業主、農業。恐るべし。

これは、なかなか気持ちの準備ができる類のものではないような気がします。。

そして農業にもつながるのかもしれませんが、

文化。

文化の違いに、うろたえる日々です。

僕自身が、鳥取の鹿野で暮らす上での違和感も勿論大きいのですが、

そこを敢えて、5年経ってからの他人事的な目線で言うならば、

同じ日本で、こんなに文化の差ができてしまった。

ということに愕然とする瞬間も時々あります。

(もちろん、どちらが良いとか悪いとかの話ではありません)

でも、

そこって、完全には埋められないにしても、

少しくらいは隔たりを小さくできるとは思っていて。

僕が東京や大阪で旧友と会う時に「あっち(笑)はこんなんだよ」「へぇー」ってな感じで

少しはヨソモノ目線で伝えられることもあるし。

なにより、嬉しいのは、

結構鳥取に訪ねてきてくれる人が多いこと。

そうすると、断片的とはいえ、肌感覚を伴って、

異文化感、異世界感が伝わるのだと思うし。

田舎とはこうだ。

農業とはこうだ。

なんて、ネットの記事(←このブログもですが)読んで分かるほどシンプルじゃない。

都会にだって、すごい多様な都会像がありますもんね。

僕自身、まだまだ田舎の、農業の奥深さを全然分かっていないと思います。

それでも、

少しずつ深みにはまって行っている(笑)気もしていて。

4年目、5年目あたりから、主に農村で、僕を見る目が少し変わってきたのかな、と

感じたり。

自惚れたような表現をするならば、信用してもらえてきたというか。

でも、さらに恥をさらけ出すと、

実はもう少し早くそういう雰囲気って漂うものかと思っていました。

改めて、

焦っても動かないものは動かない。

時間がかかるものはかかる。

ということを感じました。

一方で、視野の狭さや余裕の無さが引き起こしてしまった失敗も。

「ていねいに生きる」

って、文字で書くのほど、簡単じゃないですね(汗)

5年経って、出会いも別れも色々あったけど、

その中でも信頼関係を育めているありがたいご縁がつながってきて。

集落の維持にまつわるいくつかの組織の立ち上げをしたり、

ついでに役員をやるはめになったり(笑)

あとは、僕が仲介して他の生産者さんの販路を築いたり。

このあたり、僕にとっては、結構「気を遣うチャレンジ」なんです。

9歩進んで8歩下がる、というようなこともあり、まさに異文化ストレス(笑)とかも

あったので、このページで逐一の進捗をなかなか書けないんですが。

ほんと、9歩進んで8歩下がると、気分的には10歩くらい下がって台無しになった感じになるんですよね。

でも、そういうのにも耐性がついてきました(笑)。

それはそうと、

僕がリーダーをやることになった組織の活動が5月にあって、

その段取りを(初めてなので)早めにやろうと、資料を作っていたら、

なんと、「令和元年度」というのが頭に付くタイミングなのですね。

この記念すべき会合を、僕みたいなヨソモノのペーペーが仕切って良いのだろうか。。とか。

あとは、今度の活動でお世話になる地元の業者さんが、

住まいが同じ集落でちょいちょい会う人だったりするのも、

狭い地域ならではの面白さというか、ある意味怖い(笑)

そんなこんなで、ドタバタしながらもオモシロポイントを勝手に見つけては

ニヤッとしながら6年目も頑張ろうかと思います。

そうそう、この間は、トラクター作業中に田んぼに師匠が来て、

「シカを運ぶの手伝って」と、

罠に掛かったシカを引きずるための人手としてさらわれました(笑)

6年目は、種まきからのスタート。

初心。

そして、5年目の最後に、鹿野の美しい桜を堪能できたので、

その辺の写真を。

なかなかでしょ?(笑)

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